税理士目指しながらいろいろ書く人のブログ

税理士目指しながらいろいろ書く人のブログです

やめられないとまれない2月

日曜日~٩( 'ω' )و

 

わかっちゃいるけど気が重い、そんな2月の学習状況

 

よっこらしょ

 

 f:id:kuroinujukennsei:20180305005229j:plain

 

…やる気ないとかの次元ではない。(ゴクリッ)

 

頑張らないって一時は決めたのですが、うーん。。。

私がやらないとしわ寄せが他に及ぶんですね。当たり前だったんですけど。

 

私がいままでやったことを説明して引き継いだ気になって、自分のことだからこれくらいできるでしょ。私だって自分の生活があるんだから。

って。そしたら弟さんご本人が

 

税理士試験や犬のことがあるならそっちやってくれたらいいのに。

とはいってもこっちを優先しないといけないからやってくれてたんだな。申し訳ないな。

自分のことだから自分でやらなきゃな。

って思うのに”こんなこと”も満足にできない。

こんなに人に迷惑をかけるくらいならあの時死んでればよかったのに、死ぬこともできないのか。

 

というメンタルに陥ってしまったらしく。

ちょ、ちょーーーーーーーい!ちょいちょーーーーーい!!

私が首絞めとるやんけ!!!

 

ってなことに。回復してきてると思ったんだけどなぁ。素人判断危険。

 

私も本気で死にたいと思ったというか死のうとしていた時期があったんですよね。

ちょうど7年前になりますね。

1日13時間勤務で月に多くて2日しか休めなくて、薄給で。

やりたいことを仕事にしたつもりだったのですが、いろんなものがどんどん削れていって、仕事に行きたくなくなってて。

でも、そんな時に震災があって。

その日、たまたま休みで家にいて、その頃はやたらと大きなテレビがあったので、画面に映る波にさらわれる街を呆然とみていました。

と、同時に、今から10年前にあった通り魔殺傷事件のことも思い出しました。

その日も普段ならめったに休みにならない日曜日だったのになぜか休みでなぜか家にいたのですが

それは現場が当時の職場で、知っている人がテレビの中で救護活動をしていたり、私が普段立っている場所にいた人が亡くなったり。

10年経った今では惨劇を体感した鮮明さは薄れてしまいましたが、記憶としてはどれも一生忘れることはないだろうと思います。

閑話休題

震災の一週間後には仕事の視察で福島に行く予定があったのですが、そんな場合だったので当然保留になって。

福島には親戚もいたので、心持ちの転機になりました。

結局数週間後に福島には行ったし、親戚も無事ではあったのですが、主要なメディアでは報道されない事実を見たり聞いたりして、自分の視野の狭さを知りました。

私の人生で、タイミングが少し違えば今生き長らえていないな。ということが多々あって(思い返せば以前書いた、幼少期に人が降ってきたのもそうですね。20年前だ。他にもなんかちょいちょいある気がしなくもない)、自分は無知だし、まだ浅いし、でも死んだら本当になにもできなくなるんだな。そもそもいつ死んでもおかしくないんだから自分から死のうとする気力をやりたいことに使おう。と思って。

それで、死ぬ気になれば大型犬だって飼えるんじゃないか。死ぬつもりで最後に1頭飼ってみよう。

で、暮らしだしたのが今の先住犬です。

彼女も彼女で不思議な縁があって…まぁこれはいいか。

そんなこんなで一緒に暮らしだしたら、それはもう可愛い犬で。それが無邪気に私に愛(のように見えるもの)を向けてくるし、そのせいで生きるのが楽しくなったし、職場の犬嫌いの上司に私と犬を蔑まれたときに、仕事を辞めました。

 

せっかく辞めたし、どうせ働かなきゃいけないなら犬と一緒にいられる時間が多く取れる仕事がしたい。と思ったのですが、当時の私には在宅ワークをするスキルも手段も知識も何もなかったので、身内の相続の時に知った税理士という資格の取得を目指してみるか。

だめだったら死のう。←

という経緯で税理士を目指すことにしました。

 

なので、私は運がよかったんですよね。

いろんな経験・体験に生かされてきて、物心ついた時に、大人になったら絶対フラットコーテッドレトリバーを飼うんだ。とした決意が色褪せないまま成人して、持ち前の妙な思い切りのよさが前向きな方向に向かって。

めちゃくちゃ地雷っぽい経歴なのに今の職場に拾ってもらえて、なぜか今ぬるま湯に浸かっていられて。

全部が全部、少しずつでもタイミングが違ったら今の私はいないです。

 

だから、弟の気持ちも否定しきれないんです。

時々、生きたくても生きられない人もいるんだから自分から死んだらいけない

とかいう人がいますが、あれ、すごく横暴だと思うんですよね。

生きたくても生きられない人と生きたくないのに生きなきゃいけないと言われる人の人生は全く別物で、望みが叶わないということ以外はつらさのベクトルが全然違うと思うんですよ。

それを同列に比較することの無神経さと、それが「良かれと思って」の発言だから性質が悪いよな…って、愚痴始まっちゃう。うっかりうっかり。

私の話をしたところで「私は運がいいだろう。どやどや。」っていう自慢話にしかなりませんし、最近の若者の死因の1位は自殺ですからね。

それでも、どうせ“ればたら“を発揮するなら、「あの時死んでれば」ではなく「あの時飛び降りてなければ」と言って欲しいんだけどなぁ。

と期待をかけてしまいます。他人に期待することがそもそもの間違いだとはわかっているつもりなのですが、わかってないんだろうなぁ。どう振舞えば最善なのかなぁ。

 

などと思い悩んだりいろいろしていたら、

月間の勉強時間が8時間とかいう事態になっちゃったんですよね。

 

ってゆー、盛大な言い訳でした。

 

最愛の犬の残された時間のこととかも考えたら、税理士試験どうしよう?って感じになっちゃってます。

こうしてブログに書いてみて気付きましたが、税理士目指してみよう。と思ってゼロから日商簿記3級を始めた時からもう7年経ちそうです。税理士という職業に対する見方も(これは多分いい方向に)変わりました。

めっちゃ岐路なう~。

あ、よゆーで日付変わってた。寝よう。